2011/03/15

地震のあとに

0311あとの自分の状況についてまとめ

地震がきたときシャワー直後で裸でした。
慌ててパンツと靴下をはいて服はその辺にあるものを着た。
以前から靴下は重要と聞いていたのが動揺していても
思い出せてよかったです。

Twitterで状況確認している間に2回目の揺れがきて
最大級に動揺しました。もう終わりだと思った。
この時頭には何も浮かびませんでした。
終わりだ、と思っただけ。

2回目の揺れが少しおさまってから、
窓と玄関を開けて出口確保しました。

Twitterで災害セットなるものがリスト化されていたので
エコバッグに次々とセットしました。

このあたりで確実につながっていたのはTwitterと
ブラックベリーのSMSサービス、メッセンジャー。

Twitterで情報収集しつつ、あまりにも一人は心細く
結局近所の美容ライターさんと落ち合うことにしました。
人に会ったら安心したし歩いていると揺れも感じないので
少し冷静になれたような気がしました。

駒場野公園に行っても東大に行っても誰も避難しておらず
実は地震を大げさに受け止めすぎたのではないかさえ思った。

駒場あたりから下北まで歩いて寒いからコーヒーでも
と思ったけどすべてのカフェが閉まっていて唯一OPENしていた
セガフレードでお茶したあと、池ノ上のレストランで食事して
結局家に帰ったのが夜中の2時でした。

そのあと少しずつ家族や友人たちの安否確認ができて
東京は被害が少ない地域だから通常生活に戻ろう!という
動きが出てきて、その時感じたのが、えと、ちょっとまだ
ダメみたいです、ってこと。

弱音を吐くなんて大人らしくない、と言われてしまいそうですが
日本に起こった酷い災害を上手にプロセスできていないみたい。

本当に目の前の仕事はこなしていかなくてはいけないけど
社会人だからね。

でも、日曜日の夜にイタリアから電話がかかってきて
「大丈夫か?放射能はどうなんだ?」と聞かれたときに
固まってしまいました。

おそらく日本にいて地震を体験したみんなとは問題なく
気持ちをシェアしたいと思う反面、そうではない人との会話が
重たく心にズッシリとのしかかった感じ。
それが何なのかは自分でも分からない。

そのあともメイルで「話したくなったらスカイプしてね」と
言われたけど、そのメイルに返信さえ出来ていない。

確かに私自身は身体的には被害にあっていないけれど
日本の被害を考えたら言葉にできないくらい心が痛い。
言葉が出るとしたら、地震でショックを受けた家族や友人に
話しかけたいと思ってしまう。

まだ自分たち以外の世界に対して心の準備ができていません。
大人気ないなあ。不思議な拒絶反応が起きています。
こんな自分どうなの?ムカ!とも思うけど、でもこれが本音。

すべての世界が一瞬でブラーになってしまった感じなの。

もちろんできる限りの仕事はしますよ。もちろん。
今後の日本を思って通常生活をするのも大事だとわかってますよ。

でもまだ怖い。本当に地震が怖いです。
普通にしていられないくらい怖い。
こういう状況を乗り越えるプロセスは人それぞれなんだろうなぁと
自分自身で実感してしまった。
もっと強いと思ってたよ!期待外れだよ!バカ!>自分
でも違ったね。
頭では努力せよ、と信号を出しているつもりなのにね。

今、自分は募金しかできないけど、まわりに素敵なひとがおおいから
きっとこんなチッポケな私にもお手伝いできることがある気がする。

そういうところから少しずつ自分を取り戻していこうと思います。
ハイ。

強くなれ自分!と自分にエール!

※3月16日追記※
拒絶反応は、きっと他からみた現実を直視できないからだと判明。
分かっているつもりでも、心のどこかで現実として受け止めたくない
ということみたい。
他者を拒否しているのではなく、現実を拒否していたのね>私

引き続き放射能やら地震やら辛いことが次から次へと起こる日本。
でも東京に住む日本人として責任を持って復興に貢献したいす!

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